大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和56年(ネ)602号 判決 1983年12月26日

控訴人

兼松巌

右訴訟代理人

小栗孝夫

小栗厚紀

榊原章夫

石畔重次

渥美裕資

被控訴人

株式会社篠田鋳造所

右代表者

篠田隆利

右訴訟代理人

西村諒一

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人に対し金三五三万〇八一一円及びこれに対する昭和五五年四月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一・二審を通じこれを四分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

三  この判決は第一項1につき仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し金一四七六万一六〇一円及びこれに対する昭和五三年八月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者双方の事実上の主張並びに証拠関係は次に付加・訂正するほかは原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

一  控訴人の主張

本件作業が危険なものであることに照らせば、使用者は労働者の作業状況につき、危険がないかどうかを常に監視し、保護具等危険を防止すべき措置についても万全を期すべく、従つて労働者の求めがなくとも、使用者の方から保護具の支給・備置について積極的に注視し、不備があれば速やかにこれを支給・備置できる態勢を整えておくべきである。また保護具の使用・装着方法、設備・機具類の適切な操作方法を指導し、出湯作業の危険性を労働者に周知徹底させて自覚を促すとともに、保護具の装着状況・作業状況を常に監視し、もつて事故を未然に防止すべき万全の措置をとる義務を負つていたというべきである。然るに被控訴人はこれらの義務を怠つたため本件事故となつたものである。

二  被控訴人の主張

本件具体的状況のもとでは、使用者は労働者に対する注意喚起義務をつくせば足るものであるが、被控訴人はそれに止まらず、安全教育を徹底させ、その作業につき危険がないよう常に監視し、保護具等についても万全の態勢を整えていた。保護めがねは以前から現場に備置く方法で支給し、自由に利用できる体制をとつていた。従つて被控訴人には本件事故につき責任はない。

三  証拠関係<省略>

理由

一控訴人が鋳物の製造販売業を営む被控訴会社に昭和五三年二月三日雇用され、溶解工として鉄スクラップの溶解業務に従事していたところ、昭和五三年八月二九日午後三時四〇分頃、被控訴会社溶解場において控訴人に労災事故が発生した事実は当事者間に争いがない。

二そして当裁判所も、本件事故は、控訴人が鉄溶解液を溶解炉から取鍋に出湯作業中、溶解炉又は取鍋中の溶解液の飛沫が飛来して控訴人の左眼に入つたために生じたものであり、そのため控訴人は左眼角膜火傷及び深層角膜異物の傷害を受けたこと、右飛沫の発散は避けることが出来ないもので、労働者が防災面又は保護めがねを着用する以外事故を防止することはできないことなどを認定するところ、その点に関する当裁判所の認定判断は、原判決一三枚目裏三行目「そして」以下六行目まで、及び八行目以下一六枚目裏一〇行目までの理由記載と同一であるからここにこれを引用する。

三そこで本件事故につき被控訴人に責任があるか否かにつき判断すべきところ、前認定の如く、鉄溶解液の飛沫発生は不可避な現象であり、事故を防止するには防災面又は保護めがねの着用が唯一の方法であることに照らせば、使用者は労働契約の附随義務として、労働者の安全を確保するため、同作業に従事する労働者に対し、右作業の危険性を説明し、防護具を支給し、これを着用するよう教育する義務があつたと解するのが相当である。よつて以下被控訴人が控訴人に対する右義務を履行したか否かにつき判断する。

1  <証拠>によると、控訴人は被控訴会社に入社する以前、昭和三六年四月から昭和四八年七月まで名古屋市南区の第一製鋼株式会社に雇用され溶解工として働いていたこと、そして被控訴会社に入社後、毎日の朝礼において一般的な安全面の注意を受けていたことが認められるから、控訴人に対する本件作業の危険性説明のための教育は一応尽されており、控訴人もその危険性を一応理解していたと認めるのが相当である。

2  そこで次に、防護具の支給状況につき判断するに、<証拠>を総合すると次の事実を認定することができる。

被控訴人は、本件事故前に神田機工から、昭和五二年以前には岐阜砥石商会からも保護具を購入しており、その数は昭和五二年には保護めがね四二個防災面一個、昭和五三年は八月二八日までに保護めがね四一個防災面四個、本件事故以後保護めがね一八個である。保護めがねは遮光性の有無によるレンズの性質、防塵装置(顔面に密着させるレンズの囲い)の有無により、遮光めがね、防塵めがね、溶解めがね(それらの兼用型もある)等の種類があるところ、被控訴人は初期の頃は、仕上げ工のために防塵めがね、溶解・炉前工のために防災面を購入し、事務所に保管し、必要とする労働者からの希望があれば、現場の主任又は係長を通じて資材係に申請させ、必要数を同主任又は係長に交付する、そして主任又は係長を介して労働者に交付するという方式をとつていたが個人専用の貸与ではなく、支給品は現場の然るべき所に備置き、交替勤務者もこれを使用することができる態勢をとつていた。従つて、労働者が直接資材係に申込んでも交付されないし、また必要数に制限され、必ずしも希望者全員に交付されるものではなかつた。溶解・炉前工は、そのうち一・二名が防災面を使用していたが、他の者は重くて不便であるといつて使用しなかつた。そこで被控訴人は、遮光兼用防塵めがねを購入したが、これもレンズが曇るということで不評であつた。控訴人は入社後直接資材係にめがねの交付を申出たところ、係長経由で申出るよういわれたため、その旨係長に申出、その後防塵めがねが控訴人のため交付され、溶解現場に備置かれた。しかし控訴人もレンズが曇ることから常時使用することはなかつた。本件事故直前の八月二四日、被控訴人は防塵装置のない溶接めがねを購入しテストしたところ好評であつたため、本件事故後一八個程購入し、溶解・炉前工(一三名位)全員に、希望や申請の有無に拘らず個人貸与した。

右認定に抵触する前記証言・供述等(各一部)は措信しない。控訴人は、本件事故まで保護具は一切支給されなかつた旨主張するが、前記保護具の購入状況、本件作業の危険性、控訴人の経験年数等に照らすと、入社後保護具の交付を申請しながら、本件事故のあつた八月下旬まで約六か月間、漫然と保護具なしで作業していたとは考えられないので、これに沿う前記証言等は採用できず、結局控訴人は、保護めがねの交付を申出、その後間もなく交付を受けたが、使いにくい点があつたため時折使用するといつた状態で推移したと認めるのが相当であり、本件事故は右不使用の状況下で発生したと認められる。

3  そこで被控訴人に保護具使用を徹底させる義務の履行があつたか否かにつき判断するに、<証拠>を総合すると、被控訴人は毎日の朝礼の際、安全面につき一般的注意を与え、また安全委員会を設け、現場パトロール、保護具の検討、係長会議の開催と結果伝達、スライドの映写等の活動を恒常的に行つていた事実が認められるが、前認定のとおり、保護具の交付は本件事故までは各労働者からの希望申出によつて始まるものであり、しかも個人からの直接申請、個人に対する専用貸与方式を採用していなかつたことに照らすと、パトロール中に、仮に保護具を使用しない者を発見したとしても、保護具の交付を希望しなかつた者或いは希望を申出ても上司によつて必要性を認められなかつた者である可能性もあるのであつて、これら不使用者に対し例外なしにまた確実に注意を与えていたとはとうてい解されず、前記証言等のうち間違いなく注意をしていた旨の部分は措信できない。

以上によると、被控訴人は、控訴人に対し入社時の基礎的安全教育を行ない、保護具の支給もしていると認められるが、仕事の慣れや保護具自体の不便さ等から、保護具の使用を怠つている労働者に対し、改めて危険性を説明し、保護具を確実に着用するよう指導するなどの経験者に対する再度の安全教育を確実に行つたことまでは認め難いというべきである。

4  以上によると、被控訴人の控訴人に対する安全確保義務の履行は不完全であつたというべきである。被控訴人の、安全確保義務としては注意喚起程度をもつて足る旨の主張はとうてい採用することができない。

四よつて以下控訴人の受けた損害につき判断する。

1(一)  休業損害 二九万七九九〇円

<証拠>によると、控訴人の平均賃金は日額六六二二円であるところ、控訴人は本件負傷のため昭和五三年八月三〇日から同年九月三〇日まで三二日間、及び同年一一月一七日から同月二九日まで一三日間合計四五日間休業を余儀なくされたこと、従つて、右期間の休業損害は次の算式のとおり二九万七九九〇円であると認められる。

6,622×45=297,990

控訴人は、賞与として昭和五〇年八月分一〇万八〇〇〇円を受領していた旨主張するが、右平均賃金算出の対象となつた賃金・賞与のほかに右主張の如き賞与を得ていた事実を認めさせる証拠はない。なお昭和五三年八月二九日の事故当日は休業日とは認められない。

(二)  逸失利益 五一一万三一七九円

<証拠>を総合すると、控訴人はふかがや眼科において昭和五三年八月二九日左眼角膜に刺つた鉄片の除去手術を受け、薬物療法を受けていたが、偽翼状片が形成されてきたので同年一一月一六日再度手術を受けたこと、しかしその後偽翼状片が再生したため結果不良のまま昭和五四年一月二七日治療を終つたが、その頃の視力は右1.0、左0.1で眼鏡で矯正してもほぼ同様の状況であつたこと、その後控訴人は昭和五四年一一月一五日普通自動車運転免許証の更新の際、視力適正検査を受けたところ、両眼で0.8の視力が確認されたこと、控訴人は昭和五五年一〇月二三日からナルセ電子株式会社に勤務し、ビデオ部品の組立、ついで組立ラインのリーダーとして勤務することができ、毎月13.4万円の賃金を得ていたこと、その後控訴人は、昭和五七年一二月に免許証の更新をした際、再度視力を検査したところ、右は1.0であつたが、左は0.12にやや好転しており、現在勤めている材木関係の会社では視力障害とは関係なく通常人同様に働くことができること、しかし昼間はよいとしても、夜間は電灯の光が乱反射して非常に見にくい状況で、障害の性質上コンタクトレンズは使用できないことが認められる。

右事実によると、控訴人の後遣障害は、昭和五三年末当時は労基法施行規則別表(労働災害身体障害等級表)第一〇級に該当していたが、その後好転し、昭和五七年末現在では第一三級に該当するに至つたというべきである。従つて、昭和五三年より将来二九年(就労可能年数)にわたる労働能力喪失率は通じて一二パーセントと認定するのが相当である。そこで右係数に基づき控訴人の後遣症による逸失利益を計算すると、次の算式のとおり五一一万三一七九円となることが明らかである。

6,622×365×0.12×17.629

=5,113,179

(三)  慰藉料 二〇〇万円

前認定にかかる本件事故の原因及び態様、治療期間、手術回数、後遣症の程度を総合し、後記被害者の過失を斟酌すると、控訴人の慰藉料は二〇〇万円が相当であると認められる。

2  控訴人が労災保険から二五七万七〇〇七円の支払を受けた事実は当事者間に争いがない。

3  前認定の如く、控訴人は本件作業の危険性を一応理解しておりながら、しかも被控訴人から保護めがねの支給を受けながら、レンズが曇るという理由でこれを使用しなかつたのは過失というべく、本件損害額の算定に当つて右被害者の過失を斟酌するのが相当であり、右事情に前認定にかかる被控訴人の義務不履行の態様を対比して判断すると、控訴人の過失は三割と認めるを相当とする。そこで、前記休業損害二九万七九九〇円、逸失利益五一一万三一七九円の合計額五四一万一一六九円から右過失相殺分三割を控除すると三七八万七八一八円となる。これに前記慰藉料二〇〇万円を加えると、総損害は五七八万七八一八円となるところ、前記のとおり二五七万七〇〇七円が填補されているから、残額は三二一万〇八一一円となることが明らかである。

4  控訴人が、控訴人訴訟代理人らに本件訴訟を委任し、弁護土費用を支払う旨約した事実は、本件弁論の全趣旨に照し明らかであるところ、その額は三二万円をもつて相当因果関係あるものと認める。

5  以上によると、被控訴人は控訴人に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、三五三万〇八一一円及びこれに対する本件訴変更申立書送達の翌日である昭和五五年四月一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべきである。

五すると、控訴人の本訴請求を右限度で正当として認容し、その余を棄却すべきところ、右請求を棄却した原判決は一部において相当でないのでこれを変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(山田義光 井上孝一 喜多村治雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例